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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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あるく

木・金と二日連続で三重に日帰り出張のうえに土も出勤したおかげで日曜日の昨日はぐったり。
寝続けるのも辛くて(寝るのにも体力要るんです)朝起きて、ふらふらの頭にコーヒーで喝を入れて『認識と関心』の続きを読もうとして何度か昼寝をはさんで1時間で4ページ読んだところで放り出し(やっと本チャンのフロイトに入って面白くなってきたので元気な時のお楽しみ)、軽い本をうつらうつらしながら読んで(『子供の科学』を去年の2月分から毎月とっていて、いつも寝る前にしか読まないので最近5ヶ月分くらい溜まっている)、散歩に行く気力はないが食欲だけはあって部屋から一歩も出てないが三食ともしっかり食べた。

今日は少し回復したのか9時間寝て、朝食を昼前に食べて、体が若干重いが動けないことはないと思って駅前まで歩いて、いつものようにBookOff→Veloce→KYD2 (ケーヨーD2は花粉症が始まる時期から巡回コースに加わった)と歩く。頭の中を流れるのは行きはトトロの「風のとおり道」のアコースティックアレンジだったが、帰りはプレーヤーでボカロを聴く。デジタルブルーハーテッドジェラシーが平地を歩く時の歩調にピッタリで、16分で身体にノって歩くうちにみるみる元気になってゆく。その後の曲はどれも耳に心地よく聴こえて、笑いが顔に出そうになる(そういえばこの癖は高校で誰かに指摘されて卒業までに直したのだったが、あれでほんとうに良かったのかどうか)。

歩くと元気になる。

それはそうなるように自分で生活をこしらえたからで(意識してそうしたかったか、と言われると判然としないのだが)、そして今あらためて、そのような自分を好ましいと思う。
この状態はベースで、何を始めるにも、この状態を維持していたい。
自分が望んだ生活の変化がこの状態をも変化させてしまった時(歩くのが面倒臭くなる、というような)、その「自分の望み」(恐らく脳先行の願望なのだろう)を疑えるようになっておきたい。
変化のうちには、望ましい変化と望ましくない変化がある。
その判断を身体に託せるように、身体には悠々として頂きたいと思う。
そして脳の仕事は、身体が悠々とできるように生活を整えること。
センサーの感度を鋭敏に保つ方法は経験的には一つしかない。
それは「不快な情報にはできるだけ触れない」ことである。
不快な情報は不快であるから、私たちはその入力を遮断するか、(うるさい音楽に対してするように)「ヴォリュームを絞る」ようにする。
つまりセンサーの感度を意図的に下げるのである。
それによって、外界からの不快な入力は「カット」される。
けれども、それは同時に危機シグナルに対するセンサーも「オフ」になるということである。
「不快な」シグナルといっしょに「危険な」シグナルもカットされてしまう。

越くんとリーダーシップについて話す(内田樹の研究室 2010年05月09日)

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