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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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毎回が初回。

味噌汁の仕込みが上達しないなと思う。
その上達とは、仕込み時間の短縮のこと。
毎回、8日分を同じようにパックして冷凍しているはずなのに、気がつくとだいぶ時間が過ぎている。
朝のサラダは一度に4日分作るので、4日のうち1日は野菜をスパスパ切る日があって、野菜を切る日の2日に一度はサラダ分と味噌汁分を切っていることになる。
(出張があっても泊まりはほとんどないので、日常においてこのペースはほぼ守られている)
その8日に一度の「大仕込み日」の今日は一通りの作業を終えるのに2時間以上はかかった。
これは今までで最長。
別に時間短縮のために効率化を考えて作業しているわけではないが、慣れの効果で自然と手際良くできるようになるとは思っていて、しかしそうなっていない。
それは構わないのだけど理由を考えてみるに、「毎回同じように」という話の前段が怪しいのではないか。
スーパーでの買い物ではいちおう習慣に基づいた食材を買うような順路を辿るのだけど、自分のキャパシティを鑑みるに「習慣付けようとしている購入する食材の種類」が複雑に過ぎていて(レジに並んでから「何か忘れてるのではないか」と思い、朝と夜の食膳を想像しながら点検しない日はないし、それでも1/3くらいで何かを忘れている)、しかも値段に過敏に反応するし(決して学生の時みたいに安さを追求しているわけではない)特売に弱いしで、「毎回同じようなものを買う」という意識は確かにあるのだがその場の流れでその意識はあやふやになったりもして、そのような「習慣からのばらつき」の微調整は結局のところ仕込み日のまな板の上でなされているのである。
いろいろ言い訳はできて、けれど一番楽しそうな言い訳を選ぶなら、自分の言う習慣が「野菜を買ってサラダと味噌汁を作る」という階層でしかなくて、作業時間が短くならないのは習慣が惰性にならない秘訣である「習慣の構成要素(=行動単位)を割る」(「割る」というのは行動における主体と動作の相互作用の回数とスピードを上げることで、例えばポップスを4拍子でなく(リズム隊の刻みが4つでも)16ビートでノることを「拍子を割る」と言う)余地をとっておくための(習慣の)抽象化の結果なのだ。
だから8日に一度の大仕込みをやる前に「またあれをやるのか…面倒やな」と思うのは油断であって(じっさい滅多にないけどね)、その仕込みは(正月的な意味で)めでたくも毎回が初回なのである。
これ、「カウントダウンの効用」の逆なのかな…。
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