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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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どうやらひとつ前の記事からネタを拾って広げてく、というスタイルになっているようだ。
(これは書き手のメタ・メッセージです)

「個から立ち上げる普遍」について。

全く個人的なことを、理に頼りながら時に無視しながら、けれどまったき己が感覚に従うことだけには忠実に思考を重ねて記述された文章が、書き手本人以外の心を打ち、共鳴を呼び起こし、人生の指針にしようとさえ思わせてしまうことがある。
「一般」とか「常識」とはかけ離れた感覚のもとに形成されたその思考が多くの個人の感覚を動かす時、その思考は普遍性を獲得したといっていい。
それは「一般」も「常識」も多くの人々の間で共有されている、コミュニケーションの土台として効果的な位置を占めるという意味で普遍性という性質を持つ一亜種であって、「常識」が地域でも国でも各々異なるように、普遍性を備えた「○○」(まんま「多くの人々の間で共有されるもの」?)もいろいろある。
たとえば全く他者との交流を持たず万年床で妄想を弄ぶ人間の思考が他者の共感を呼ぶことがなぜ起こるのかといえば、ざっくりとは「彼も他者とおなじく人間だから」であり、要点は「他者とおなじく持つ"身体"(ここの場合は脳の方がしっくりくるか)が己が妄想によって賦活される限りにおいてその共感が成り立つ」ということ。
つまり自分の感覚に従って為されたものには、同じ感覚を持つ他者の感覚を刺激する要素が含まれる。
別に難しいことは言ってなくて(というか同じ事を繰り返して言ってるだけか)、けれど実際これをやるのが非常に難度が高いと思われていて、すなわち「一般」や「常識」の参照のないところで自分の感覚を「当たり前やがな」と疑念なく掘り下げることが難しいと思われている。
しかしこれは正しくは「難しい」ではなく「めんどくさい」で、「めんどくさいし得にならないし面白くもない」と思われている。
そんなことはない!…ではなく、「それは君の言う通りで、これはめんどくさいし何の得にもならないことは確かだ。そして面白くもないのかもしれないが、そうだとすれば面白くない理由は君自身が面白くないからだ」なんてことは言ってないけど、「わかんないならわかんなくていいよ」とあくまで自省を始めない限り(「個から普遍を立ち上げる」ことの)スタートを切ることはできないと橋本治は言っているように僕には聞こえる。
世の中を問う本を沢山書いてるし、あーしろこーしろと本の中で説教を垂れることも非常に多いのだけど、そこに手加減はない。手加減というのは例えば「読者のために難しい表現や使用頻度の低い漢字は使わないようにしましょう」という新聞のユーザーフレンドリネスのことで、これは一面で読者のリテラシーをなめてかかってることにもなる。だから橋本治の本には役立つ情報とか話題になるネタのような「つるりとしたもの」なんてなくて、読者の進む道は「つまり何が言いたいの?」という疑問が最初から最後までついてまわって読み終わって何も残らないか、のっけから衝撃を受けて返す言葉も見つからず今の自分に全幅の理解は不可能と悟りながらも必死に追いすがるかの二極しかないのである。ここでいう新聞は巷あふれるハウツー本としてもよいだろう。

言いたい事に戻ると、「個から普遍を立ち上げる」難しさは現代特有のものがあるとして、ここには何が得か、何が面白いかとは別の、生きるうえでの大事な作用がある。
自分の正直な感覚が人に共有される喜びはもちろんあるだろう。それは言葉で伝え合うコミュニケーションの目的でもある。
もう一つ、これが大事だと思うのは、「一般」や「常識」を相対化できることだ。
上で書いたが、性質として、自分発のその「普遍」は「一般」や「常識」と同じなのだ。
だからそれによって「一般」や「常識」の成り立ちがわかるというか、「昔からみんなそうしてきたから(しょうがなく)やっている」ことにも起源や(当初の、あるいは現在の)効果があることに意識が届くようになる。
それがすっかり見通せるようになるのは至難の業だが、詳しくは分からず言語化も難しくとも「意識が届く」ことがまず重要で、それを「化けの皮が剥がれる」といってもいい。
「一般」や「常識」が不条理なもの、曖昧なもの(もきっとあるのだろう)であることの善し悪しとは別に、またそのことによって伝統や集団が機能していることの善し悪しとも別に、「一般」や「常識」の中で生きる一個人として、思考の自由を獲得することができる。
(もちろん「思考の自由」の善し悪しも別の話で、誰もが求めるものではない)

その「思考の自由」を発揮するためには、一定の不自由を敢えて抱え込む必要がある。

という「次のお題提示」をやってしまうと続かない、というジンクスがあるのだが、流れで提示してしまったので仕方がない。
何より「自由を自由にする不自由」(続けて書くと妙だな)については昨日か今日か頭の隅にあったことを覚えていて、それが今ここで出てきたことが一ついいことなのだ。
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