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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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とりあえず前回書いた「色々な可能性」の例から。

まず、「知識を溜め込む必要はないんだ」ということ。
サーバだのクラウドだのネット上に情報が無尽蔵に蓄積される今の時代は人間の頭の中に情報を詰め込む必要はなくて、情報の手に入れ方(ネット用語でいえば「検索の仕方」)と情報の使い方を知っていればよい、というのは感覚的に理解できる。できるがしかしそれを追求すると人の名前が覚えられない、世間話についていけない等の日常に障りが生じるのも事実で、トレードオフというか要はバランスが大事なのだけど、バランスが大事と言わせるのは極端に走った時の(だいたい高めに見積もってしまう)苦労に対する恐れであって、「極端に走った実例」を知っているとその見積もりが適切にできるようになる即ち「躊躇なく極端に走れる」ようになるということ。
橋本治は自分で言っているのだが常識に偏りがあって、自分の感覚に全幅の信頼をおいているからこそ知識の蓄積なんかなくとも「今の自分に必要なもの」の見当をつけて勉強してどんどん思考を組み立てていくことができて、その「個の追求から普遍が立ち上がる様」を氏の著作を読んで何度も見せつけられている身としては憧れずにはいられない。
ただ僕の場合人に憧れることはなくてその対象は「性質」であって、それは「自分の感覚に信頼がおけること」だ。それは自分の思考に価値があるとか自分の発言に間違いはないという意識ではなく、考えても分からない時は分からないし間違うこともあって、しかし分からないことに納得できるし間違うことの必然性を悟ることができる、という意識のことだ。僕がその本のジャンル・内容に関わらず「著者買い」する書き手はだいたいこの意識をもっていて、それはそのような意識に憧れているからでもあるし、既に自分も仲間に入りつつあってそのような文章を読むと(「こんな風に考えてていいんだ」と)安心するからでもあるし、その安心は何よりその人が現に楽しげにこのような文章を書いて生きているという「先例」を示してくれることによるものだ。
少し話がとぶけれど、「(特定の)個人の時間」にも「世間の時間」にも、人ひとりに親しみを感じさせる性質がある。ここでいう時間とは時間の流れ方のことで、後者「世間の時間」は新聞やテレビであるような「人気のハイソな週末の過ごし方」とか「高視聴率のドラマ」といったものに個人がのっかる時に流れる時間のことで、「多くの人がこれをやっている」という安心感があり、実際に知り合いも同じ事をやっていてその話題を共有できたりする。一方の前者「個人の時間」とは、たとえば橋本治がうんうん唸って原稿を書いている時に流れている時間のことで、氏の本を読むことはそのような氏の時間を共有することでもある。どちらも幻想であることに変わりはない。また、どちらの時間に共調することが重要かという問いもあまり意味はなく、その人が過ごしたい時間がどういう性質かによるだろう。…僕は「個人の時間」への共調に大きな意味を見出しているし、安心すると同時に充実感を味わっている、としか言えないか。そしてそのことを普遍化(抽象化)したければ具体例から出発せねばならないだろう。
その具体例を書こうとして、途中から分類志向に吸い寄せられて話がつまらない方に流れてしまったようだ。分類への魅力は恐らく深く根を張っていて、それができればすっきりするし何かまともなことを言えた気になるし実際仕事上大事な作業であるために蔑ろには当然できないのだが、時間の限られたあるいは趣味的な思考における分類志向は「新たな思考を立ち上げる」よりも「思考に一区切りをつけて終わらせる」ベクトルを持っていて、端的に言って日常で思考を深めたい自分にとってそれはあまり好きではない。だから「時間の限られた思考」という捉え方をまず修正する必要があって、毎日コンスタントに(ある設定した枠内での)思考を積み重ねるという習慣をもつことがおそらく一つの方法で、それは習慣であると同時に技術でもあるのだが、技術は後回しにして習慣を先に身に付けてしまえば、必要が「本当の必要」になった時に自ずと技術が形成されていくものと思われる。

課題はたくさんあって、書いてるそばから同じ単語の指す意味(範囲)が変わっているようだし、最初に書こうと思っていたことからどんどん話が逸れていって戻って来れなくなるのもまあいいとしても勢いに任せて面白くなさそうな話に踏み込んでいってドツボに嵌ることもよく見受けられる。こうやって書きながら反省もして、それが身に染みていけば勝手に修正されていくだろう、というような意識を僕は「他律的」と呼びたいが、自分一人で文章を書いていて他律もないだろうという常識側の指摘もそれに対する回答もすぐに連想できて、それを書く前に(というかそれを書くことをすっ飛ばして)書くべき別のことに瞬時に思い至れば「流れるように書きかつ他人にももう少し読み易い文章」が書けるのかもしれない。

さて、「筆の勢い」と「読み返し易さ」との相関は正か負か、明日の自分が判断してくれるでしょう。
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