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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
今まで何度か考えてきたことだけど、タイトルの言葉がパッと浮かんだので軽くメモしておく。

「ご縁」の存在感は現代でどんどん薄まっている。
それは日常においてあらゆる選択肢が増え、世間で「自己決定」が推奨されていることからも分かる。
縁は自分で勝ち取るものではない。
かといって、何も考えずの成り行き任せで出会った全てが縁の賜物かといえばそうでもない。
「ご縁だからね」といった言葉は後付けであることが多いがそれはそういうものだから仕方なくて、問題なのはこの言葉は事実認知ではないということがあまり知られていない(かどうかなんて実際知りませんが)こと。
つまりこれを略さずに言えば、「こういう成り行きになったのはご縁だから仕方ないしどうにもならない」(これは諦めの言葉だ)ではなくて、「(同上)ご縁だからこの流れを大切にしましょうね」(これは意志の言葉)なのだ。

自分が選んだ道ではないけれど、自分で引き受ける意志表示として「ご縁」という言葉がある。
だから仕事も遊びも食事も家具も何から何まで自分の好きなように選べる(こう表現すると「仕事」だけは違和感がありそうだが、選び取れるかどうかは別として選択肢だけなら無数にある)今にあって、選択の際に意思表示をしないことは「主体性がない」とか「優柔不断の付和雷同」などと言われてあまり好まれない。
そして主体性のもとに自分で仕事を勝ち取って(就職「戦線」という表現が勝負というか「戦争」のイメージになっている)、それが想像と違ってあまり面白くなかったりしてでも別の仕事を探す面倒を考えると億劫なのでついつい「ご縁だから」などと自分に言い聞かせることになるのだが、こういう使用法こそ諦めている。

何の話がしたいのか。
今の社会で「ご縁感覚」を賦活する方法について書こうとしていたのだった。
流れを肯定する、場の成り行きに吉兆を見出しそれを信じる。
要するにそういう意志をもつことなのだが、本来このような感覚は意志をもたないことで発揮されるはずだがそれと逆のことを書くのは、現代社会のデフォルトが上述のように実質的にご縁感覚を否定しているからだ。
それはまあ当然で、成り行き任せでは会社は潰れるから。
そして日本は「株式会社」なのであるからして。
(この辺詳しくは橋本治の『貧乏は正しい!』シリーズに書いてある…かもしれない。思い付いておきながら記憶はかなり曖昧)
で、「意志をもたない意志をもつ」という矛盾めいた作法が必要となってくるのだ。
(関係ないようであるけど、文脈無視で短い文章の中に矛盾を見つけると条件反射的に「論理的に間違っている」とか「禅問答だ」と鬼の首をとったように勝ち誇って指摘する人は「言葉とはなにか」について少しでも考えれば裸で風呂を飛び出すくらいのカルチャーショックを得られるだろうに、というこれは仲正昌樹風「おもしろ被害妄想」でした)

ええと…気軽にメモで済まそうと思ったのだけど面白くなってきたので、たぶん続きます。


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