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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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歩くことについて。

目を瞑りながら歩くというのを続けている。
続けるといって最初から最後まで目を開けないわけではなく、一度に瞑る時間は長くて10秒くらいだけど、勤務時間外で歩く時はちょこちょここれをやっている。
動機は最初は「目を瞑っても真っすぐ歩きたい」というのがあって、身体のバランス感覚向上みたいな感じだったのだが、あとで加わったのが「視覚を閉じることで別の感覚・神経を研ぎ澄ます」というもの。
触覚が敏感になれば足裏感覚が増すとか風により親密になれる(半袖ならなおよし)し、聴覚が敏感になれば自分の周りで動くものの場所と動きを察知できるし、嗅覚が敏感になれば…通りの家の晩ご飯の献立をばっちり把握できるようになる。
このうち触覚と聴覚にこだわっている所である。

先に聴覚を言うと、例えば信号のない車道を横断する時に目を瞑って渡る。
と書くとあからさまな危険行為に思われそうだが、もちろん無謀なことはしない。
気配を感じた時点で立ち止まって目を開ける。
車は分かりやすいが、ある種の自転車は危ないかもしれない。
これは聴覚だけの話ではないのだろう。
音がしなくても、自分に近づくものがあれば気配を感じる。
この精度を上げるのに、ちょっとした危険はよい刺激になる。
もちろんやる場所を選んでやっている(もともと車通りが少ない所とかね)。

触覚についてが最初に書きたかったことで、特に足裏感覚のことである。
最近は踏ん張って地面を蹴る際に指を意識するようにしている。
ただ全ての指を使うかといえば、使っているだろうけど意識はそれと異なる。
意識する場所はいくつかあって、親指・人差し指とか、中指・薬指・小指とか。
前者だと足は(進行方向に対して)まっすぐになり、後者だと少し外股になる。
どちらが速いか、というと差はありそうだけどそこはあまり意識してなくて、
歩きのスタイル(足以外の身体各部の動かし方)が各々で変わってくる。

それはよくて、最初の話と実は繋がる話で、どうも、
「足裏感覚を研ぎ澄ませて歩くと目を瞑って正確に歩ける」ようなのだ。
正確に、の意味は、真っすぐだけでなく道に沿って歩けるということ。
この足裏感覚というのが、指で踏ん張る以外にも着地時の体重のかけ方とか、
接地してる間の地面に吸い付かせる感じとか、色々ある。
もちろん足裏感覚「だけ」ではないのだけど、これを意識してから変わった。
目を瞑って歩く間の体のふらつきが減り、安定感がぐんと増した。
たぶん、歩く動作を「割れる」ようになったのではないかと思う。
歩き動作における頭(いや、身体?)が把握できる単位時間コマ数が増えたのだ。
これは「マイクロスリップ」の話と一緒だろう。
たしか、何か明確な意図をもった動作の間にも動かす身体部位は微小にブレていて、そのおかげで唐突な状況変化に対応できる(打者がピッチャーの球種を読み間違えてもバットを振りながら球に合わせていける、といった)という話だったと思う。
歩きの姿勢がブレないことともう一つ、路面状況によるブレも減った。
砂利道とか悪路で敢えて目を瞑って歩く、というのもやっているが、
凹凸のせいでうまく踏み込めずにバランスを崩すことが減ったのだ。
これは意識以前の対応で、やはり踏み込み動作が「割れた」からに思える。
目を開けていれば、自分が踏み込む先の地面を見て足の下ろし方を調節できる。
地面が見えていなければ、足裏で地面の状態を探るしかない。
きっと、足裏が地面に触れるか触れないかの一瞬のところで判断をしている。
何げなく歩いていると気付かないが、案外凄いことをやっているのだ。

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