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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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(学生時代のブログを読み返してテンションが少し変わった…?)

身体と精神と、各自の健康について。
身体が不健康でない時、その理由が精神の不健康である場合を考える。
一つは、実は身体は不健康なのだが精神が(それに増して)不健康であるために身体の不健康を認識できない状態であるという可能性。
この場合、精神の不健康は身体維持のために敢えて不調を来しているのであって、精神の不健康が進行すると「ともだおれ」になる。
(「トモダチ作戦」とは実は「トモダオレ作戦」のことではないかとふと思ったがこれは全く関係ない。そしてトモダチ作戦が米主体であるならば米国は「三方一両損」のジャパネスク・シンドローム疾患中であり病状が深刻に至った暁には治療を必要とする主体が存在しなくなるという時点で作戦成就となる。なんだこれ)
「ともだおれ」を防ぐための方向性は二つある。
一つは身体の健康を取り戻すこと…ではない、というのは、「部分の苦痛の効果は全体からの逸脱度と相関が高い」ことから容易に類推できるように、精神の不健康が喫水線を超えて「みてみぬふり」ができなくなり発狂に至るからである。
この場合の発狂は塑性変化であることが多く、推奨されない。
そうではなく、一つは、精神の健康を取り戻すことである。
身体の不健康というのは、精神の健康とセットになっていれば「谷のあとには山がくる」という自然の摂理に従い、風邪や発熱といった生理的な症状として一定期間表れ、症状の回復がそのまま身体的健康の獲得過程となる。
体力がないから病むこともあれど、病む体力も(恐らく)別枠で必要で、後者の体力は「火事場の馬鹿力」のようなもので、生命力があれば尻に火が付いて狂っている場合ではない。
しかし、その生命力に自信がない時に精神の健康を取り戻そうとすればどうなるかといえば、尻の火が全身にまわって焼け死ぬというだけのことである。
想像するだに恐ろしいはずだが、この恐ろしさを想像できる間はまだ大丈夫である(しかしここで「はず」を付けてしまう所が少し心配である)。
そのような時にとるべき二つ目の針路は、身体の健康と精神の健康を同時進行で取り戻すことである。
言うは易しの案ずるは易しで確かにあんず酒は安いのだが、その「同時進行」とは実際どうすればよいのか。

ま、感覚に従い、思うところに従いながら生活を維持しつつ変えるということですね。
劇的な変化は望まない。
劇的というのは劇の中でこそ劇的なのであって、劇の外での劇的は「リアルフィクション」になってしまう(?)
心と体のバランスを崩さないよう心掛ける。
きっとそれは衰弱死という「善き最期」を迎えるコツでもあるのだろう。
オチがこれでいいのだろうか…
まあ良く(欲)はないわな。
よし、オチた(笑)
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