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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
今ある頭の回り方があって、
それが以前のある時期と同じ調子に思えて、
しかし体調など「思考を取り巻く状況」が違うと思える時、
何が変わったのだろうか?

だいたいその「同じ」が、ほんとうに同じかどうかが分からない。
「同じ」と思わせる別の何かがあるかもしれない。
するとそれは回転の滑りを良くするものか。
あるいは(防衛反応として)鈍らせるものか。

後者である場合、「同じ」は実は違うということになる。
逆に前者であれば、「同じ」は同じでも違うでも構わない。
回転するならばそれでよいのだ。
その何かは以前から内にあったか、降って湧いたか?

ちょっと生活が落ち着いてきた感じがある。
つまり「思考の回転」関数がとる変数は変化量なのか。
「今の今」の展開を追って走る脳内回路は、ハードの動作環境に依存する。
その環境は過去を引きずっており、未知なる未来というノイズ入力もある。

脳は身体の一部とはいえ、身体の状態とはある程度分離して駆動できる。
それ自体はあらためて言うまでもないが、その分離の仕方に興味がある。
ふと、典型的ではない形の分離の仕方があるのではないかと思ったのだ。
例えば、即時的には相反しつつも未来の合流を予期しているような分離。

そのような芸当ができるとして、その実現にはまず「できる」という信頼がいる。
そしてその信頼の根拠に「確実なものがない」ことは確実だと言える。
そう、確実なものを担保するのは、ほんとうは不確実なものなのだ。
予定調和でないそれは、結果と名付けたものから事後的に確認できるのみだ。


指針はたくさんある。
たくさんあることに、素直に喜べるようになりたい。
それを喜べない理由は、実は複雑だ。
選べることの意味が、変わってしまった。

選択肢が多い喜びは、「この中に最適なものがある」ことにはない。
選択肢が増えることは、最適値が上がることと結びつかない。
そもそもこの言い方は「選べることの意味が変わった後」のものだ。
最適値などありはしない。

もとい、主観的な最適値などありはしない。
「主観を取り戻す」(@保坂和志)の一つの実践は、ことばを選びなおすことだ。
主観的な言葉を「思い出す」。
さあ、この主体は誰だろう?
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