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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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3日前の話。

3日前に大山(おおやま)に登った。

その前日(木曜)の午後に唐突に「あ、だめだ」と思い、翌日を有休にする。
一週間分のエネルギーが切れたらしい。
が、どうも切れたのは「体力」ではないらしい。
と思い、夕食後しばし黙考の後、「そうだ、大山に行こう」と思い付く。
毎日部屋の窓から拝んでおきながら、まだ登ったことがなかった。

金曜の朝食後に行き方や所要時間を調べ、昼前に出発。
伊勢原駅から大山ケーブル駅行きバスに乗ったのが12:10(これだけ覚えてる)。
終点まで乗っていたのは地元のおじいさんと観光客ぽい夫婦のみ。
そうなのか、とよくわからんが納得して登り始める。

服装は速乾Tシャツに厚手のジーンズ(伸縮も最悪だけどこれしかなかった)、
肩掛けバッグには文庫本とサングラスと行動食のういろう一個、
右手に箱根の水(500mlPET)と左手にもしものGORE-TEX雨合羽(たぶん似非)、
あと靴は危うく全壊を免れているNewBalanceの運動シューズ。
見た目は山登りというより街歩きスタイルで、
阿夫利神社の売店のおばさんに「え?」という顔をされた。


しかし今思うにこのスタイルで登ることに一つ意味がある。
最近読んだ石川直樹の本に「全ての装備を知恵に変える」という言葉があって、
登山の装備を極限まで減らす「ウルトラライト」なるスタイルを最近知ったが、
今の自分に何か訴えるものがあった。
これは「なぜ山に登るか」に関わってくる。
僕の場合は、今回は「自分の生命力を確認するため」であった。
日常においては会社員生活を恙なくこなすために身体機能をコントロールしている。
それはある面を開放したり別のある面を抑制したりすることなのだけど、
身体全体のバランスを考えると時にそれが大きく偏ってしまう。
だから時々それをリセットする必要がある。
これは普通の考え方で、しかし僕は少し違うことを考えている気がする。
上で書いたのは、生命力を「取り戻す」ではなく「確認する」だ。
もちろん戻ってくるに越したことはない。
しかしそれは(今回に限っては?)主目的ではなかった。
「今の自分はどれだけ生命力を発揮できるか?」を知りたかった。
その前段には「今の自分はあまり元気ではない」という認識がある。
その「元気ではない」の"元気の種類"を特定したかったのだ。
もちろん事前の予想はあって、その蓋然性が高いからこその無茶であって、
幸か不幸か予想通りの結果ではあって、書きたかったのは、
3日も経つのにまだふくらはぎが痛くてまともに歩けないというただそれだけ。

ちょっと話を戻すと、
登山において「安全対策を万全にする」ことは第一に重要である。
命の危険を考えれば対策にやり過ぎはないのかもしれない。
が、
命が惜しいなら登らないのが賢明であろうと思う。
別に命を山に捨てに行くために登るわけではないが、
「絶対安全な登山」に僕は全く魅力を感じない。
(それはテレビでハイキング番組を見るようなものだ)
雪山の魅力などは、まさにそこにしかないとすら思う。
「わざわざ危険を冒すためなんて馬鹿なことを」と思われるかもしれない。
しかし、それをせずにはいられない人がいて、
その本人も自分は馬鹿なのだろうと思っていて、
それで納得?
「そこに山があるからだ」というわけの分からないフレーズは、
論理なんかないからわけが分からないのも当たり前で、
「山」とくれば「川」という、つまりは合言葉である。
(「おーにぎーり」とくれば…「○○○○○!」懐かしいね。)
通じる人にしか通じない。
これをコミュニケーションと言わずして何と言おう。


もう少し話を戻して。
とりあえず今回の行程の記録という意味でメモ。

良性の曇りで登山コンディションは良かったがガスってて景色は見えず。
途中に「富士見うんたら」という富士山が見えるらしい地点でもまっしろけ。
山頂では売店は閉まっており四方はまっしろけ。
それでも山頂には5、6組の登山者がいた。
ご年配方が多いのも然り。
そういえば山頂に着くまでに何人かとすれ違ったが、
一人だけジーパンTシャツ手ぶらの若人がいた(あとはみんな標準装備だった)。
ついライバル意識を燃やしてしまう。
で、下りは日向薬師に抜けるコースで途中の「見晴台」でもまっしろけ…
ではなかったが、山の裾野以外に何も見えず。
でも心地よい開放感で、ここで初めて腰を下ろしてういろうを食す。
水を飲み干していたのでういろうの後味がしばらく離れない。
5分ほどで再出発、年配の団体グループ(重複?)を追い越し、ずんずん下る。
ふくらはぎは恐らくこの下りで痛めたらしい。
いつも階段を上り下りしてるみたいな負荷の掛け方は、たぶんまずいのだろう。
まあこれは切実に必要とされた時に改善するとして。
山道を抜けてアスファルトに出て、歩くとキャンプ場やら釣り場がある。
地図の看板もあり、このまま歩けばバス停に着くらしい。
と、前方で下りの山道がこの車道と合流しているのが見え、
その山道から見覚えのある人が下りてくる。
山頂で休憩していた二人組で、自分が先に下りて以降抜かれた覚えはない。
どうやら遠回りの道を選んだらしい。
これは次回以降の参考に。
で、バス停にたどり着く直前に七沢へ通じる道を発見する。
看板には「七沢まで50分」とある。
最初に考えていたのはバス停→伊勢原駅→愛甲石田→バスだったが、
七沢まで歩けばバス一本で帰れる。
時計を見ると17時前で、ほとんど座らず6時間以上歩いてきたらしいが、
50分なんてその1/4以下である(という計算をなぜかその時にした)。
足が限界だったような気もしたけど以上の計算により徒歩続行となり、
バス停そばの自販機でようやく水分補給のためにスポーツドリンクを買う。
と、「ピピピピ」とよくある数字が4つ表示されてるだけのスロットが鳴っており、
「4」が3つ並んで、「ん?」と思うと4つめも「4」になって、
「おめでとうございます。もう1本飲めます。30秒以内に選んで下さい」
とのアナウンスがある。
本当にこういうのは必要ない時に当たるんだなと思い、
しかし自販機で当てたのは人生初めてかもしれないと思い、
(でも前に当てたのを忘れるくらいどうでもいいことなんじゃないかと今は思う)
あまりの必要の無さに判断力が鈍り、30秒ぎりぎりで「桃の天然水」を押す。
すぐ近くに小さな公園(滑り台と鉄棒しかないような)くらいの広さの神社があり、
人気もなかったので縁台に座って2本目を飲み干しにかかる(荷物になるので)。
なんだかこの一時が「今年初めて夏を"風情として"感じた時」のようで、
「今日ここに来て良かったな」と初めて思った。
たぶんそういう風に頭が回ったのがその日は神社に来て初めてだったということで、
そこから山を登っていた時の頭の状態も「マル」だったのだと連想した。
つまり「空っぽだった」ということなのだけど。
そして桃天を飲み干し、道を少し戻って七沢方面へ向かう。
山を通る道だけどアスファルトがきちんと整備されていて面白くはない。
面白くはないが山道の上り下りに比べれば足は楽だったのでするする歩く。
するする歩き、温泉宿がぽつぽつ見えてきて、やがて温泉街にたどり着く。
その街並をさらに下り、「七沢荘」の看板が見えてやっと馴染みの道に出る。
(七沢荘は3回は温泉入りに行った。湯もシャワーもアルカリでヌルッとしてる)
ここで時計を見て、神社からちょうど50分経ったことを確認する。
なるほど、あの「50分」の看板は健脚者基準であったか。
久しぶりにオフェンシブな看板に出会えたことに少し充実感を覚える。
が、足は限界で、「七沢入口」のバス停で時刻表を見ているとちょうどバスが来て、
考える前に足が動いて(「もうやってられるかいな!」)、行程終了。
寮の近くに着いたのは18時過ぎ。
「七沢入口」から寮までは30分弱で歩けるので、今回の半行程と合わせれば、
たぶん全部徒歩だと5〜6時間で寮から大山の山頂まで行けることになる。
(たぶん、と書くのは山頂に着いた時間が定かでないから)
へー、というこれは純粋な驚き。
寮の部屋から見えるおっきい山のてっぺんに、そんだけ歩きゃ行けるとは。
うん、歩くってのは偉大であることよ。


メモというには長くなった。
次に行く時の参考にしよう。
しかしこんな強行軍だと人と一緒には行けんよなぁ…
昔は命知らずの友人がゴロゴロいたものだけど。
まぁ、歳ですね。
筋肉痛が3日も続いているようでは。
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