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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
いたいのいたいの…痛いの?

今日は大山登山後4日目で、ふくらはぎはまだ痛い。
和らいではきていて、あと2日もすれば気にならなくなる。
平地を歩くより階段の上り下りで痛いのはまあ当然として、
これくらいの痛みがちょうど創造的になる分岐点となる。

というのも、ふつう、痛いのはイヤである。
普通に歩いて痛いのなら、歩き方を変えて痛くならないようにしたい。
これは頭も思うし、それと独立に身体も思っている。
普段よりも身体の声がよく聴こえる状態なのである。

で、身体にお伺いを立てながら、頭は歩行動作の微調整を模索することになる。
ちょっと変えて、「これどうすか? あ、いまいち?」みたいな。
そしてどこかで投げやりになって、「もう、好きにしちゃって!」みたいな。
「分岐点の中の分岐点」が、ここである。

疲れというのは、変な言い方だけど、ある程度は絶対量ではない。
身体のある部分が疲れるのは、そこを集中的に使っているからでもある。
ある身体部位の使用度が同じでも、その周りの身体部位もバランスよく使えば、
局所的な疲労は感じにくくなる。

だから一つの動作で身体全体の「バランスの良い使い方」ができれば、
疲労を感じずに長時間その動作を続けることができるようになる。
しかしそれは一つの理想であって、なかなかそう上手くはいかない。
そんな時に、どんな次善策が思い浮かぶだろうか?

というところで先の話と繋がるのだが、「歩行動作の微調整」によって、
ある身体部位が疲れている時のベターな歩行動作を発見できる可能性がある。
つまり、全身が元気な時の歩き方と、脚のそこここが疲れている時の歩き方を、
その都度の身体に蓄積される疲労を少なくするように変えることができる(かも)。

この考え方を応用すれば、履いている靴や靴下の種類によっても、
最適な歩き方を選んでいつでも気分良く歩けるようになる。
(僕は靴下を厚手と薄手とをランダムに履くので、これも歩行動作に大きく絡む)
これは「常にベストな状態で歩く(のがよい)」というのと逆の考え方である。

一言でいえば「不変を維持するのでなく、変化に対応する」ということ。
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