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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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残り物?

「残り物には福がある」という諺からの連想。
残り物というからには、選択肢の多さが問題になっている。
 最初はたくさんあった選択肢が、少なくなってしまった。
そして、「選択肢は多いほどよい」という通念が前提となっている。
 この通念の起源は「選択肢が少なくて当たり前だった時代」にある。
 戦後すぐはろくに食糧の配給がなかった、とか。
その通念を引っくり返すような現実も往々にしてあるよ、というのが諺の意味。

そして「選択肢が多くて当たり前」の現代がある。
選択対象は消費者としての消費対象全てであり、情報だってそう。
(実際に選び取れるかという選択能力はまた別の話)
この現代における残り物とは何か?
かつては「もうこれしか選べない」という選択肢の無さを示していた。
対して今は「選択肢の無いことを選び取った状態」を意味している。
自ら視野を狭め、思考を停止させないと選択肢を消去できない。
残り物は自然発生しなくなったのである。

この諺は現代も生きているのか?
と考えてみると、起源とは別のかたちで生きていると答える。
残り物には、確かに「福」がある。
選択権の放棄が福をもたらすことがあるのだ。
しかしそれは意志的な行為というよりは防御反応である。
「なんかヤダ」と思い、該の欲望から遠ざかる。
つまり脳の暴走(の徴候)に対する身体の防御反応だ。

それでは「意志的な選択肢の放棄」は何をもたらすか?
それは脳と身体のバランスを考慮しての合理的行動ではある。
しかしその行動を脳だけで推し進めると、おそらく逆戻りとなる。
その始まりやよし、だがどこかで主導器官(?)のスイッチが必要となる。
あるいは両者のバランスを保つための身体的な安定を支える何か。
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