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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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引き続き、影の話。

影は平面にできる。
歩道に電柱が一本立っていて、空が晴れていれば、アスファルトに電柱の影が映る。
アスファルトの床面は平面で、その凹凸を無視すれば電柱の影は二次元である。
抽象化すれば、影は「本体の次元を一つ落とした姿」として現れる。
この次元を一つ下げると、平面内の物質の影は線分として現れることになる。
既に机上の話になっているが、紙の上に絵を描けばよくて、それが(二次元の紙上から三次元を立ち上げるという)写実でなく「そのまんま」と捉えればよいのだけど、紙上の一点に光源を書き込んだ時に光は放射状に拡散していく。障害物がなければ紙の上では光源の点(の絵)以外は光で満たされていることになる。そこに、光源から離れた場所に物質(線分でも矩形でもよい)を書き加える。すると光源と物質の位置関係を考えて光源の両端と物質の両端をそれぞれ線分で結んだ時にその線分を物質後方に延長して半直線(なんて言葉普段使わないなそういえば)にすれば、物質の背中と半直線(と紙面の端)で囲われた領域には光が行き渡らなくなる(暗くなる)。この状況で影はどこにできているかといえば、暗くなった領域ではなく、紙面の端と二本の半直線の交点を結んだ線分にできる(たぶん)。
そしてアスファルトの凹凸は紙面の端の「よれ」に対応する。

といった「次元を落として(上げて)考える」という思考実験は、わりと楽しい。

上は次元を一つ落として考えたので、今度は逆に次元を一つ上げて考えてみる。
つまり四次元空間における物体の影は三次元ということだけど、x,y,zの三軸に加えるのはt軸(時間)なので、僕らの生活空間がある時刻で止まった状態が実生活における「影」である。それが存在するのかと言われるとするようなしないような、まあ頭では考えられるか、でも上で書いた「線分(一次元)の影」よりは実感に近いかな、といったところだろうか。いや、言葉で表そうとするもの(シニフィエ)が「三次元の影」と言えそうだ。例えば歴史は人間の生活の流れ(蓄積)の影だと。ほんと?
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