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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
と、毎日売店で1つ買って食べるようになって思う。

最近また文章を書く気が起きなくて、
でもその理由はこれまでとは違う。
文章を書くことが会社での仕事になったからで、
それにけっこう満足しているようだ。

「考えたいことを考える」もウソではないけれど、
「考えたいこと」は、まずは外から与えられる。
「書きたいことを書く」もこれと同じ話で、
「書きたいこと」の書きたさは内容で決まるのではない。

テーマが外から与えられて、
そのテーマに対する考察やその結果の出力は、
それが自分本位にできるからこそ楽しい。
形式に縛られずという意味でなく、形式にはまり込む自由もある。

「ものを考えられる状態にしておく」ことを維持したいと思っていた。
だから仕事が思考停止を伴うものであった間は、家でことさら考えていた。
今は会社でも余裕があり、わりと正常に頭が回った状態を保てている。
この生活に慣れてくれば今みたいに書くことがなくなるかもしれない。

それはそれでいいことかもしれない。
家で本を読むスタイルは変わっていない。
会社で書いているから入力過多になることもない。
「入ったものは出す」ではなく「入った分だけ出す」という感じ。


人との接し方が気がつけば変わっていたようで、
それは前とどう変わったかも分からないような変化で、
もしかして今まで意識していなかっただけかもしれないし、
つまり自分の同じ振る舞いに対する意識の度合いが変わっただけか。

その詳細は書かないけれど、そしてこの現状がよくないとも思ってないけれど、
時々は今の「自然」に逆らって無理をした方がいい時もあると思っておきたい。
ようやく落ち着きつつある今に至るまでに4ヶ月ほどかかったけれど、
そのきっかけは2人の同期が与えてくれた。

社内ではとてもそんな雰囲気にはならないけど、どこかで礼を言わねばと思う。
与えられた状況にどう適応するかだけを考えたいた当時の自分には、
適応し切れなければ辞める選択肢はあっても部署異動という発想がなかった。
矛盾めいた言い方をすれば今回僕は「主体的に行動させてもらった」。

結局はそういうことなのだろうと思う。
「流れに乗ると思えば自分から動ける」と前に書いた。
受け身によって主体性を発揮するのだが、その発想は主体的なものだ。
どのような行動や思想も、解釈する次元によって主体的にも受け身にもなる。

そして、このようなすっきりした言い方で区切ることに躊躇いを感じる。
いや、内容はすっきりしていないが、言い切ること自体がすっきりになる。
修行の要はその日の稽古の終わらせ方にあると甲野善紀氏も言っている。
調子がピークになる手前で終われば、寝ている間も頭の中で稽古が進むそうだ。

文章を書くことに当てはめれば、「まだ言い残しがある」地点で止めることだ。
書き始めは滞っていた思考が滑らかになり、結論がうまくまとまる予感がする。
そんな時に、ちょっと話題を逸らせたり、枝葉を掘り下げたりしてみる。
「喉まで出かかった言い残し」が消えないようにそれをするのが難しい。

+*+*+*

年の瀬ですね。
気がつけば来週で仕事納め。
今年はどのような年末になるだろうか。
今年はいつもと少し違う年末になる気がする。

その予感を楽しむ。
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