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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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ミドルデガー。(意味不明)

自分は何も供出せずに、相手に何かを求めること。
それは、よくない。
いけないことはないけれど、よくないことが起こる。
だから、相手に何かを求めようとしていて、しかしそれに後ろめたさを感じている時、自分は相手に何かを贈ろうとは考えていないことに気付く。
そういう風に、迂回的にしか気付けない時があるのだ。
個人が内で閉じていて、しかし頭は回っている、という場合。
おそらく、個人が外に開いていれば、相手に求める前に、
自分が相手に贈ろうとするはずだ。
そして後になって、「僕はあの人を求めていたんだ」と気付くのだ。

きっとこれは「迂遠な健全」で、しかし根がしっかりしていれば少しふらついてもどこかで戻って来ることができる。
何かといえば、後ろめたさをバネにすることもできるということ。
しかしこれは自分から「我を忘れに行く」ようなものなので、
後悔をもたらすことが多い。
もちろん、我を忘れない跳躍、というものもないはずなのだけど。

「論点の先回り」という話がある。(というこの提起がまさに「論点の先回り」の実例で、しかし今回は「論点ずらし」も加わっているのでちと複雑)
会話の進行を見越して先回りの発言ばかりしていると、
相手との会話が心地よくは成り立たない。
会話は論理だけで成り立っているのではない。
ベタな筋をたどるだけの会話が楽しいことからそれは分かる。
「論点の先回り」はその楽しみ方を自分から潰しにかかっている。
あるいはお互いがそれを知りながら「(論理的に)充実した内容で、しかし内容よりキャッチボールそのものを楽しむ」という会話も想定できようが、それはほとんど小説世界での出来事である。
なにしろ複雑に過ぎる。

しかし「論点の先回り」は、頭の回転数の上げ所を間違っているという話もあれ、頭の回転がしっかり保たれているという意味においては健全である。
だから、不用意にしてしまった時にその都度反省すればよい。
疲れるけど。
ああ、また疲労の話に…まあしちゃうけど。
恐らく自分はこの疲労を悪いものとは思っていなくて、同じことをした時の疲労が軽減されるのは身体にとって(短期的には)よいのかもしれないけど(長期的には)よくないのかもしれず、後者を重く見てあまりこの疲労に慣れたくはないなと思って、つまり変わらない疲労が続くという意味でこの疲労は重層的な疲労なのである。
疲労が蓄積していった時に、体調を崩す場合と局所的に麻痺が起こる場合があって、
この両者では疲労の質が異なっていて、僕は前者が健全だと思う(不健康だけど)。
かかったことないし想像だけど、一般的に精神科医というのは疲労をなくすのではなく麻痺させることで疲労を感じなくさせる術を処方としているのではないか。
(だから(?)名越先生や春日先生はふつうの精神科医ではないと思っている)
この麻痺というのが、弱さ(vulnerability)の封殺でもあるように感じていて、鷲田氏のファンとしてもここは譲れない一線なのである。

話を戻して。
久しぶりに気付いたきっかけは複合的なものである。
(毎度のことだけどぼかしまくってるので訳わからん話なのはご容赦。
 後に自分で読んで内容がサッパリやったらそん時はそん時ですね)
そして結論としては、「自分が相手に贈ろうとしたくなるのを待つ」なんて日和るつもりはなくて、まあ上記の「バネ」を(使う流れになっちゃったら)使うという「位相を上げた日和見」でいきましょうと。
自分が何をしたいのか、身体の底では分かってるんです、きっと。
それを信じて、待つ。
弱さを守り、麻痺しないように。

待ち人、わたし。
(ておみくじに書いてあったら「深いなあ」思うんやけど、まあないやろな)
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