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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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「生姜事件」の顛末やいかに。

数日前から味噌汁に加えた「ちんげん菜とアスパラ炒め」はJ・アタリ。
いつも汁(というか水)を煮る前に豚肉をきつめウェルダンに炒めていて、その時に一緒に入れると野菜たちはけっこう焦げ目が付くのだけど、それがいい感じに「九州大分の麦味噌」の味を濃厚に引き立たせてくれる。
味噌はやはり煮込みの序盤から溶かし入れるのが好みで、味噌本来の風味がそれで飛んでしまうのかもしれないが、具と味噌がよく絡まり、イメージだけど濃厚になる気がする(煮込みの最後に味噌を入れた時は味が軽くなってしまったように思った。「すっきりまろやか」とも言えるのかもしれないが)。
食膳にメイン料理(肉や魚など、味の濃いもの…とも限らないが)があれば味噌汁の味付けは薄くてもよいのだが、今の夕食は味噌汁が(食材の多様さや器の重さからいって)堂々たるメイン料理になっていて、その味は物足りないよりは「物足りる」方がよいのである。

で、ほぼ同時に投入した生姜なのだが、これは一回目に作っている間から既に不穏な空気が漂っていて、煮込まれている他の野菜を押しのけて「ワイが生姜やで、よう嗅いどきや」と言わんばかりの自己主張の強い香りを発散させていて、でも僕自身生姜は好きで飴や葛湯として日頃から親しんでいるから「味噌と仲良くさえやってくれれば…」とやきもきしつつ見守るしか術が無く、いつも通りの手順で作り上げて食卓に並べてみるとなんだかやけに汁が黄色い。
一口飲んでみて、生姜以外に主張してくるものが見当たらず「一に生姜二に生姜、三四は抜きで五に生姜」とでも言えばいいのか、味噌もいつもと同じ分量で入れてるのに「あのう、わたくし本日は味噌汁ということでよろしかったんでしょうか…?」とか細い声もかき消されるようで、つまりこれは紛れもなく「生姜汁」なのだった。
ここからブリコルール的機転を利かせようと味噌と生姜の相性を取り持つ何かがないかとしばらく考えたのだが、「二重の予想外」のさらに裏をかいたこの生姜の排他性に気圧されるばかりで、結局なすすべなく次善策をとることにした。

次善とはすなわち「野菜スープにしちゃう」ということで、炒め油を米油からオリーブオイル(なぜかEXV)に変え、ダシを焼きあご(飛魚)からコンソメに変えて洋風スープに早変わり。
その一回目が今日で、一口飲んで本当に驚いたのは、昨日の生姜汁と味が「全く一緒」だったこと。
昨日は味噌汁として飲んだから終始違和感があったけど今日は最初からスープとして飲んだから平気だった、と言って「そうね」と納得しかねない程に同じなのだった。
恐るべし生姜…と結論付けるのは尚早で、単に生姜の分量が多過ぎたのだ、きっと。
隠し味として使うには恐らく今回の1/5くらいには減らさねばならず、生姜をまるまる一個購入してその分量で使い切る期間を考えると扱いが難しいのであるなと学習した次第(しかし生姜ってどれくらいもつのか…今回の経験による計算だと6×2÷1/5=60日は冷蔵庫内で健康を保ってもらいたいのだが、まず無理だろう)。

ま、思いつきもたまには失敗しますわ。はは。。
味の複合に関する想像は難度が高いということで、精進。

+*+*+*

味噌汁の話が何度か出てきたので、新タグ作りました。
そいえば「とりたま」も味噌汁の話から始まったのだった…か?
いや正確には「味噌汁の話に逸れて戻って来れなくなった所から始まった」か。
今後もちょくちょく顔を出すテーマになると思います。
もうすっかり習慣として定着したことだし。
ただ上記の通り、時々スープになることも今後増えそうだ。
更なる進化を祈念しましょう。
(今回の「生姜事件」(「生麦事件」ではない)は退化ではなく派生ですね)
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