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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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思考の宛て先の自覚について。

過去を振り返っていて、いつの間にか離れられなくなり、今が色褪せて見えてしまうことがある。
その時、頭の中の自分は過去にいるが、その自分の中身は今のものである。
そこにすれ違いがあり、価値基準が過去に置かれてしまうために、現在の自分(の中身)がつまらないものに思えてくるのだ。
「思考の宛て先」と勢いで書いてみたが、これは「誰に向けて思考がなされているか」と言い直すと分かりにくい。
そこで、手紙はふつう出せば返ってくるように、何らかのフィードバックがあると期待される思考には宛て先がある、という考え方をしてみたい。
つまり言いたいことは、過去に埋没してしまうような想起や思考は「宛て先がない」のだ。
とはいえ「思い出に耽る」ことに実利的なアウトプットなど期待しないのであってこれは当たり前の話ではある。
どうも一般性の低い、自分への戒めで終わる話になりそうだが、思考に過剰な価値を与えてしまうと「実りのない思考」(上記の「思い出に耽る」など)に足を取られてしまうよ、という教訓でした。

「脳と身体のバランスを整える」といったって、一人の人間は脳偏重にも身体偏重にもなるだろうし、それを自覚といっても自覚する行為そのものは意識の産物(つまり脳偏重の行為)だから、自覚だけではバランスを整えるだけでは不可能で、やはり『フェーズの切り替え」の技術を学ばないといけないなと思う。
やっぱり合気道やってみたいなということで、その辺の所を「おもいえばいたる」にまた詳しく書き出してみよう。
相変わらず腰は重くて、しかしその「腰の重さ」の効能を納得しておかないといけないのかもしれない。
あるいはその効能が勘違いだったと気付く可能性もあるのだからして。
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