幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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映画の話も出た。石川君はよく浅草あたりをうろついては映画館に入った。そして、映画館の暗闇の中で夢想するのが何より好きだったと言った。先生は映画を見られますかと石川君が言った。いや滅多に見ないと答えると、石川君は、僕のこの間軀の調子が良かった時に子供と『もののけ姫』を見に行きましたと言った。あれは大ヒットしたのに批評家や知識人にはあまり受けが良くないのです。何故だかわかりますかと石川君は言った。彼らは娯楽を期待していたのに、あれが芸術だったからですよ。知識人は芸術が嫌いだから、反発したのですと石川君は言った。
高橋源一郎『日本文学盛衰史』p.127
この「石川君」が誰かといえば、なんと石川啄木のこと。
そして「先生」は森鴎外。
どうやらこの本は明治あたりからの文学者たちの生活が現代の風俗事情を織り交ぜながら描かれているらしい。
(島崎藤村が蒲原有明に「ちょべりば!」と囁けば、横瀬夜雨が「フルメタリックボディの八段変速ギア、坂道はもちろん階段を登るのもへいちゃらの上、最新式の無公害エンジンとカーナビを搭載し、最高時速六十キロというモンスター車椅子」で夜ごと横根村を走り回り「横瀬の家のホーキング」と住民たちに噂される)
そのこころは、と考えていくつか思いつかないことはない。
古典の、現代誤訳というよりは超訳のような位置づけ。
「当時の文学人が今生きていたらこんなことをやりそうだ、言いそうだ」。
タカハシ氏は文芸時評集をいくつも出していて、『文学なんかこわくない』とか『文学じゃないかもしれない症候群』とかタイトルにもう氏のスタンスが前面に出ていて、そのどれかの中で「文学関係者の間で文学が閉じていてはいけない」というようなことを書いていた。
この本もきっとそれと同じ感覚で書かれたもののはずで(というか氏の著作すべてがそうなのかもしれない)、つまり啄木とか鴎外とか、あるいは幸徳秋水や島崎藤村を「国語の授業で習ったなあ」くらいの文学的知識しかなくても十分読めるようになっている。
ということに気付くのに、読み始めてから少し時間がかかった。
なにしろ本書のマジメな部分はとことんマジメで、(固有名詞が何を指すのか)さっぱり分からないからだ。
それが最初は「これは不勉強な自分が読む本なんだろうか」と不安にさせていたのだけれど、途中で「あ、別にいいのね」と気付いたのだった。
読んでいて細かいところが全然わからずとも、「文学と(一般人の)日常とは地続きである」ことはわかる。
そしてそれが、タカハシ氏が読者に分かってほしいことの一番のはずだ。
+*+*+*
という話と繋がるか繋がらないか、本書の読中脳内BGMはちょっと意外なところを選んでいる。
霜丘氏の和風曲。
→ 臨命終時 - simoka/kakoi
日本文学だし和風曲かなと思い、しかし読み始めでちょっと「おどけた(フマジメな?)感じ」を受けたので穏当な和風曲は合わないなと思い、べつにこの曲がおどけているわけでは全然ないのだけどパッと思い付いたから選んだのであって、おそらく本筋に対する何らかの意外性が共通しているかなと後付け解釈。
しかしダブステップをこんな風に使えるのは凄いな。
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