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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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「ブレイクする」とブレイクスルー。

 選択と集中という言葉があるが、それは費用を切り詰めることではないし、ムダ遣いを厳守(いや「厳禁」なんだけど、こういう(会社の壁に貼られたりすれば)シニックな標語もいいなと思って書いてみた。「ムダ遣い厳守!」)することでもないし、省エネに努める(この場合の「つとめる」にあてる感じはどれが正しいのだろう?「努める」が一番近いと思ったけど、これでも「省エネが仕事」みたいな響きがあって、これに「仕事は生きがい」を繋げるとなんとまあシニカルな)ことでもない。集団の指針として、あるいは個人の中ででも意図しての選択と集中だとそうなってしまうけれど、意図しないで、つまり(「そうせざるを得ない状況」を先に設定してもよいが)勘をはたらかせての「選択と集中」のコツみたいなものがあるのではと思った。
「そうせざるを得ない状況」の具体的なところが、昨日に引き続き僕自身まだ風邪が治ってなくて身体がへばっている状況で、これが身体の調子の良い普段とは違う頭の回し方をさせてはいて、良い所を先に言えば「いつもの過剰なこだわりを(余裕がないがゆえに)抑制できている」点がそう。細かい表現とか言い回しが重複する時に無理して普段使わない表現で言い換えようとするとか。それはそれで練習になるというか自分の言葉を獲得するプロセスとしてアリなのだけど、書きたいことをさらりと書く時にやっていると回り道にはなる。「急がば回れ」は大体において本当だが、急いでいない時に回ると大体において戻ってこれなくなる。急いでないので別にそれで構わないのだが、回ってばかりいるとカーブの曲率が険しくなってきて、つまりだんだん回転になってきてしまいには眼が回ることになる。眼が回ることは狂うことと近からず遠からずであって、狂いたいと思う人間は二種類いて「自覚なく狂いたい人」と「自覚をもって狂いたい人」に分かれるのだけどもちろん後者の方がレベルが高い。というのも自分の振る舞いを適度に制御できなくなる状態を狂うというのであって、「狂わずに狂う」と言っているようなものだからだ。そしてこれは可能であって、断言できるような実例がちゃんとある。
 と言って過剰なこだわりを解除することを狂いに繋げるのは極端というかすっ飛んでいて、書こうと思ったのはその解除の具体的なところだった気がする。ただそれ自体を分析的に、ある程度(歩いて井戸?)抽象的に書けるのは元気な時で、今はそれ自体(=その解除の具体的なところ)ではなく解除がなされた状態のアウトプットをそのまま吐き出して、そこから間接的に推論を重ねていく方法がやりやすい気がしていて、しかしその推論は元気になってからやることのように思われるので今は煩雑に書き散らすことしかできない。書き散し寿司。握り鮨の絵をえんぴつで描き飛ばすわけです。そういえば寿司食べてないなあ…ある時期からスーパーで生魚を買うことに抵抗をおぼえてしまったことが一因で、たぶん漬け物かなにかで食中毒が起こった時からだろう。よく考えるとあんまり関係ないような…想像のリンクのさせ方をあまり奔放にやっていると戻ってこれなくなりそうだな。
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