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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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「人とつながる」ことが大切だと説いた時に、今のわれわれの感覚だと、それがある種強迫的になってしまうことが多い。(…)もともとは心を潤すための行動だったはずなのに、そこにまた強迫的な観念が生まれて、不安に駆られる。何がつながりなのか、何が人と人の絆なのか分からなくなってくる。(…)だから「人とつながる」ということは、決して直接的なコミュニケーションだけではないってことを認識しなくちゃいけない。例えば、何年も会っていなくても、その人のことを想うだけで日頃の様々な瑣末さからくる心のトゲが溶けていく。そういう関係性の経験こそが「人とつながる」ことだと思うんです
名越康文『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』p.41-42

直接的なコミュニケーションは確かに大切だ。
しかし「それこそ至上」としてしまうと、常にそれをせずにはいられなくなる。
そう思う人が何人もいて、お互いで満足し合えているのなら口を挟む余地はない。
板挟みに遭うのは、彼等の中で「それは違うのではないか」と密かに思う人だ。

「その人のことを想うだけで…」と彼等に言おうものなら、
「それは君の自己満足に過ぎない」と糾弾されるのがオチだ。
その指摘は間違っておらず、しかもこのようなやりとりそのものを
直接的なコミュニケーションが快く成立しているとは言い難い。

直接的なコミュニケーションの大切さは分かっているだけに、これは辛い経験だ。
この人は自分の価値観を押し隠して彼等に波長を合わせるしかないのだろうか?
仕事の延長の付き合いならば仕方の無いことに思えるが、
私的な付き合いであれば、敢えてしなくともよいのではないか。

この判断は直接的なコミュニケーションの否定ではない。
直接的なコミュニケーションはお互いが快くできる相手とすればよい、
という当たり前の認識に則ってのことだ。
名越先生の言葉はこの判断を採用する勇気をくれる。

…この場面で勇気が必要であることがまた強迫的ではないかとも思えるのだが。

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