幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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久しぶりに思考館を更新しました。
「脳内BGM」について、最近とみに(自分の生活に対する)重要度が上がっていることに気付き(というのも日常が日常であるほど意識化することがないので)、詳しく書かねばなるまいなと思い、そういえば小説と相性の良かったBGMのストックがあるなと思い出して一気に更新しました。
つまり表を増やしただけですが。
あとリンクも頑張って貼りました(頑張ったというほどでもないけど)。
しかしもうHPの作成にHTMLをいじくるのは時代遅れなのだな…と日経BPの「人生の諸問題」を読んで思った(確かこの辺だったはず)。
トップページのLast Updateの更新を忘れた…
けどアップロードがもう面倒なので次回に。
ということで更新したのはこの辺です。
で、脳内BGMだけど、仕事してる時も気分で流す曲を変えていて、それは「今の気分に合った曲を流す」場合と「今の自分が望む気分になれるような曲を流す」場合があってなかなか融通が利くなあと改めて思えば感心してしまえるもので、その仕事中に「これってウォークマン(死語)聞きながら仕事してるようなもんだよな」とふと思ったのだった。
そして曲に没入して周りの音が聞こえないわけではないし、一時期話題になった骨伝導スピーカーみたいなもんだろうか、と(使ったことないんで想像だけど)。
そういえば中学だか高校の頃、授業中になんとか音楽が聴けないものかと極小イヤホンラジオを探した記憶がある(ふつうのイヤホンのコードをなくしたような小さいのが当時にもあったのだ)。探してそれを見つけた所までは記憶があるけれど、それを実際に使ったのかどうだったか。。
まあそれはいいんだけど、昔から音楽を肌身離さず身に纏う努力をしていたのだなあ、そしてその努力の結果が脳内BGMというこれは洗練なのか? とか思うところはけっこうある。
いつか掘り下げよう。
というのも実はこの記事を書く前は、というか思考館を覗いてしまったのはふとした出来心で、別に書きたいことがあったはずで…
近況を書こうと思ったはずだが…
あ、「内部循環する"青い芝"」です。
無い物ねだりはたいてい他者の所有物に対する羨望から始まるものだけど(「他人の芝は青く見える」というやつ)、それだけではなくて、「自分の中にある自分の持ってないもの」を手に入れようとしたがることでもあるのかな、とさっき思い付いたのだった。
なんか変なこと言ってるけど、「あるはずなのにないもの」とか「本来そうであるはずなのになぜかそうでない状態」のことで、なんとなく自分の中にはあってでも意識化できないのが不安だからちゃんと明示化したいという意思も一形態としてあるのかな、と。
そして無意識とか感覚レベルのものを意識化すると元の姿を変えてしまうので、「いや、こうではなかったはず」という期待はずれが別の"それ"を欲望する、というような。
で、どうもそれは悪い事ではなく、むしろ言葉を扱う人間の宿命なのでは…
これ続くのかな…
というか近況ではないよな…この話じゃなかったっけ…
いいや、また元気な時に整理しよう。
「脳内BGM」について、最近とみに(自分の生活に対する)重要度が上がっていることに気付き(というのも日常が日常であるほど意識化することがないので)、詳しく書かねばなるまいなと思い、そういえば小説と相性の良かったBGMのストックがあるなと思い出して一気に更新しました。
つまり表を増やしただけですが。
あとリンクも頑張って貼りました(頑張ったというほどでもないけど)。
しかしもうHPの作成にHTMLをいじくるのは時代遅れなのだな…と日経BPの「人生の諸問題」を読んで思った(確かこの辺だったはず)。
トップページのLast Updateの更新を忘れた…
けどアップロードがもう面倒なので次回に。
ということで更新したのはこの辺です。
で、脳内BGMだけど、仕事してる時も気分で流す曲を変えていて、それは「今の気分に合った曲を流す」場合と「今の自分が望む気分になれるような曲を流す」場合があってなかなか融通が利くなあと改めて思えば感心してしまえるもので、その仕事中に「これってウォークマン(死語)聞きながら仕事してるようなもんだよな」とふと思ったのだった。
そして曲に没入して周りの音が聞こえないわけではないし、一時期話題になった骨伝導スピーカーみたいなもんだろうか、と(使ったことないんで想像だけど)。
そういえば中学だか高校の頃、授業中になんとか音楽が聴けないものかと極小イヤホンラジオを探した記憶がある(ふつうのイヤホンのコードをなくしたような小さいのが当時にもあったのだ)。探してそれを見つけた所までは記憶があるけれど、それを実際に使ったのかどうだったか。。
まあそれはいいんだけど、昔から音楽を肌身離さず身に纏う努力をしていたのだなあ、そしてその努力の結果が脳内BGMというこれは洗練なのか? とか思うところはけっこうある。
いつか掘り下げよう。
というのも実はこの記事を書く前は、というか思考館を覗いてしまったのはふとした出来心で、別に書きたいことがあったはずで…
近況を書こうと思ったはずだが…
あ、「内部循環する"青い芝"」です。
無い物ねだりはたいてい他者の所有物に対する羨望から始まるものだけど(「他人の芝は青く見える」というやつ)、それだけではなくて、「自分の中にある自分の持ってないもの」を手に入れようとしたがることでもあるのかな、とさっき思い付いたのだった。
なんか変なこと言ってるけど、「あるはずなのにないもの」とか「本来そうであるはずなのになぜかそうでない状態」のことで、なんとなく自分の中にはあってでも意識化できないのが不安だからちゃんと明示化したいという意思も一形態としてあるのかな、と。
そして無意識とか感覚レベルのものを意識化すると元の姿を変えてしまうので、「いや、こうではなかったはず」という期待はずれが別の"それ"を欲望する、というような。
で、どうもそれは悪い事ではなく、むしろ言葉を扱う人間の宿命なのでは…
これ続くのかな…
というか近況ではないよな…この話じゃなかったっけ…
いいや、また元気な時に整理しよう。
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