幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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伏線の回収。
ようやく異動が決まりました。
その意思をもって行動を始めてからずいぶん長くかかって、
まあ行動といって「何かする」よりは「何もしない」の方が近いけど、
単に現状に耐えるのではなしに、そつなき日常と同様に「何かを得続ける」
という努力(身を入れて読書をする、とか)は体力が少ないと難しくて、
やっぱり健康が第一だよねと挫折しかけたこともあり、
あれけど元をたどればその挫折が意思のはじまりだったような気がしないでもなく、
まあぷかぷか浮かぶ意味の泡を割らず掬わずで漂わせる作法というものが
渡世のついでに身についたということで成長したね。
てなことはなくわがままになっただけかもしれないが、
周りより自分の感覚に従えるようになったことも喜ばしい一方で
肝心のところでわがままになれない自分もやっぱり嫌いではなくて、
あれこれどう考えても自分が好きという結論に至るこれはオサマーの証。
それはよくて、おそらく来月初旬から仕事内容ががらりと変わるはずで、
しかし所属はそのままの「隠れ社内出向」みたいな非正式異動なので、
よいこともわるいことも含めて何が起こるか予断を許さないので余談をしよう。
(あ、今思い付いたけど「考えるヨダン」の像があるとしたら(ないけど)
あの姿勢のままで顔は潑溂ピーチクパーチクの口で、
座っていると思いきやコサックダンスの一瞬間を切り取ったとても動的な像。
体言止めにしてみました)
よいことというのはこれまで自分の性質としてきた「境界人」の役得で、
複数のグループに所属するとそれぞれの部署内での束縛が弱まり、
責任の緩和や仕事の自由度の増加などの効果が期待できる。
(もちろん程度によってはその裏返しの悪影響にもなるけど)
ただ今まで以上にまたぐ領域間の距離が広いので、
股が裂けないように注意しなければならない。(これは何のメタファーなのか…)
もうひとつよいというか、通常の異動に比べてわるくないことというのが、
非正式という形によるものでこれが何かというと「政治に利用されない」点だ。
逆じゃないのかと言われそうだが、自分で書いていて同感だと言いそうになったが、
そうではなく…あれ、どうなんだろ。
まあこれはわからん。そして僕は政治は嫌いなので振り回されたくはない。
いや雇われの身である以上体は振り回されざるをえないけど心は我関せずでいたい。
ので「とりあえず勝手にしてください」というしかない。
一方のわるいことというのは、がらりと変わる仕事内容の方で、
ありていに言えば「現場を離れる」ということで、
具体的には一日中PCに座ってカシャカシャやることになる。
社会人になる前は「それだけはイヤ!」と思っていた仕事スタイルで、
しかし日々の平穏を求める今は「まあアリなんやないかな…」と思ってはいるけど、
昔の感覚のままだと長く続くとはとても思えない。
けれど昔の感覚のままではないし(断言)境界人なりの工夫の余地もありそうなので、
これも出たとこ勝負で話は「郷に入って」から。
もともと適応能力は高いはずなので最初に頑張っておけばなんとかなる。
適応したくないと思ったらそれまでだけれど、
今回の異動騒動で少なからぬ人に手間と迷惑をかけているので、
まあしばらくはそれを忘れないようにすれば社会人として行動できるんやないかな。
ここのところ「そこから外れても大丈夫だよ(むしろ外れる方が正常だよ)」
みたいな本ばかり読んでいて(というか読書に没入してこのかたそういう本ばかり
好んで読んできたような気がするが、この読書傾向は明らかに「パンピー適応意欲」
の減退に繋がっているなと思う。もちろんそれはそれでいいと思ってる)、
そういう本を身を入れて読むと自由な精神やら身体性が賦活されるのだけど、
会社生活とはなかなか相性が合わなくて(読みの深さが足りないのだろうか…)、
時に社会人的体力の低下を招いていたのでやり方を変えた方がよいかもしれない。
読む本を変えるのでなくて別の習慣を変えるか人を頼るか…そこはまた考えよう。
で、最初に書こうと思ったのが、仕事ががらりと変わるのに合わせて、
入社後今まで間断なく続けてきた食習慣を変えてみようかなと。
簡単に言えば1年目から今まではほぼ毎日同じ朝食を食べてきたし、
去年の夏頃から今まではほぼ毎日同じ昼食(少量)を食べてきたし、
今年のはじめから今までほぼ毎日同じ夕食(大量)を食べてきた。
変える積極的な理由はあまりないけれど、まあ気分ですかね。
昼食を社食の定食に戻して、その量が増える分朝と夜を減らそうかなと。
ご飯をつくる充実もあるけれど、一度その手間を減らしてみてどうなるか。
異動を考え始めた頃からガタついてきた身体を改善したいとも思う。
このあたりは人体実験の心意気で。
(うん、なんかそう考えると元気になってきた。科学者ですな)
それでやっとタイトルの話になるのだけど、
もしか毎日味噌汁生活が一時休止になるかもと思ったので、
おとといの買い物で「京都の白味噌」を「締め」の意味で購入したのだった。
「これは日常的に食べるものなのだろうか…」と当初は敬遠していた白味噌で、
けれどちょっと閃くと(「八木に電流、走る」)それを思い出す前に体が動いた。
まあこれも、休止するかどうかもその時次第だけど。
さて、異動先で最初からしんどい顔見せるのもよろしくないので、
じわじわ元気を出していくとしましょう。
「本物の嘘つきはウソを身体化して本当にしてしまう」と言うけれど、
いや自分の意思が世渡りのためのウソと言いたいわけではないけど、
自分で言ったり思い込むうちに身体化していく傾向が自分は強いようで、
それは能力でもあり病質でもあって、
つまりは病質として表われていたそれをそろそろ能力として発揮しようかと思う。
「思う」と書いて実際に発揮できてこその能力で、
これは迂回のない(個の)自己言及システムで、
しかしこれはシステムの自己言及とは違うのであって、
個の自己言及はシュレディンガの猫なのである。
にゃお。
ようやく異動が決まりました。
その意思をもって行動を始めてからずいぶん長くかかって、
まあ行動といって「何かする」よりは「何もしない」の方が近いけど、
単に現状に耐えるのではなしに、そつなき日常と同様に「何かを得続ける」
という努力(身を入れて読書をする、とか)は体力が少ないと難しくて、
やっぱり健康が第一だよねと挫折しかけたこともあり、
あれけど元をたどればその挫折が意思のはじまりだったような気がしないでもなく、
まあぷかぷか浮かぶ意味の泡を割らず掬わずで漂わせる作法というものが
渡世のついでに身についたということで成長したね。
てなことはなくわがままになっただけかもしれないが、
周りより自分の感覚に従えるようになったことも喜ばしい一方で
肝心のところでわがままになれない自分もやっぱり嫌いではなくて、
あれこれどう考えても自分が好きという結論に至るこれはオサマーの証。
それはよくて、おそらく来月初旬から仕事内容ががらりと変わるはずで、
しかし所属はそのままの「隠れ社内出向」みたいな非正式異動なので、
よいこともわるいことも含めて何が起こるか予断を許さないので余談をしよう。
(あ、今思い付いたけど「考えるヨダン」の像があるとしたら(ないけど)
あの姿勢のままで顔は潑溂ピーチクパーチクの口で、
座っていると思いきやコサックダンスの一瞬間を切り取ったとても動的な像。
体言止めにしてみました)
よいことというのはこれまで自分の性質としてきた「境界人」の役得で、
複数のグループに所属するとそれぞれの部署内での束縛が弱まり、
責任の緩和や仕事の自由度の増加などの効果が期待できる。
(もちろん程度によってはその裏返しの悪影響にもなるけど)
ただ今まで以上にまたぐ領域間の距離が広いので、
股が裂けないように注意しなければならない。(これは何のメタファーなのか…)
もうひとつよいというか、通常の異動に比べてわるくないことというのが、
非正式という形によるものでこれが何かというと「政治に利用されない」点だ。
逆じゃないのかと言われそうだが、自分で書いていて同感だと言いそうになったが、
そうではなく…あれ、どうなんだろ。
まあこれはわからん。そして僕は政治は嫌いなので振り回されたくはない。
いや雇われの身である以上体は振り回されざるをえないけど心は我関せずでいたい。
ので「とりあえず勝手にしてください」というしかない。
一方のわるいことというのは、がらりと変わる仕事内容の方で、
ありていに言えば「現場を離れる」ということで、
具体的には一日中PCに座ってカシャカシャやることになる。
社会人になる前は「それだけはイヤ!」と思っていた仕事スタイルで、
しかし日々の平穏を求める今は「まあアリなんやないかな…」と思ってはいるけど、
昔の感覚のままだと長く続くとはとても思えない。
けれど昔の感覚のままではないし(断言)境界人なりの工夫の余地もありそうなので、
これも出たとこ勝負で話は「郷に入って」から。
もともと適応能力は高いはずなので最初に頑張っておけばなんとかなる。
適応したくないと思ったらそれまでだけれど、
今回の異動騒動で少なからぬ人に手間と迷惑をかけているので、
まあしばらくはそれを忘れないようにすれば社会人として行動できるんやないかな。
ここのところ「そこから外れても大丈夫だよ(むしろ外れる方が正常だよ)」
みたいな本ばかり読んでいて(というか読書に没入してこのかたそういう本ばかり
好んで読んできたような気がするが、この読書傾向は明らかに「パンピー適応意欲」
の減退に繋がっているなと思う。もちろんそれはそれでいいと思ってる)、
そういう本を身を入れて読むと自由な精神やら身体性が賦活されるのだけど、
会社生活とはなかなか相性が合わなくて(読みの深さが足りないのだろうか…)、
時に社会人的体力の低下を招いていたのでやり方を変えた方がよいかもしれない。
読む本を変えるのでなくて別の習慣を変えるか人を頼るか…そこはまた考えよう。
で、最初に書こうと思ったのが、仕事ががらりと変わるのに合わせて、
入社後今まで間断なく続けてきた食習慣を変えてみようかなと。
簡単に言えば1年目から今まではほぼ毎日同じ朝食を食べてきたし、
去年の夏頃から今まではほぼ毎日同じ昼食(少量)を食べてきたし、
今年のはじめから今までほぼ毎日同じ夕食(大量)を食べてきた。
変える積極的な理由はあまりないけれど、まあ気分ですかね。
昼食を社食の定食に戻して、その量が増える分朝と夜を減らそうかなと。
ご飯をつくる充実もあるけれど、一度その手間を減らしてみてどうなるか。
異動を考え始めた頃からガタついてきた身体を改善したいとも思う。
このあたりは人体実験の心意気で。
(うん、なんかそう考えると元気になってきた。科学者ですな)
それでやっとタイトルの話になるのだけど、
もしか毎日味噌汁生活が一時休止になるかもと思ったので、
おとといの買い物で「京都の白味噌」を「締め」の意味で購入したのだった。
「これは日常的に食べるものなのだろうか…」と当初は敬遠していた白味噌で、
けれどちょっと閃くと(「八木に電流、走る」)それを思い出す前に体が動いた。
まあこれも、休止するかどうかもその時次第だけど。
さて、異動先で最初からしんどい顔見せるのもよろしくないので、
じわじわ元気を出していくとしましょう。
「本物の嘘つきはウソを身体化して本当にしてしまう」と言うけれど、
いや自分の意思が世渡りのためのウソと言いたいわけではないけど、
自分で言ったり思い込むうちに身体化していく傾向が自分は強いようで、
それは能力でもあり病質でもあって、
つまりは病質として表われていたそれをそろそろ能力として発揮しようかと思う。
「思う」と書いて実際に発揮できてこその能力で、
これは迂回のない(個の)自己言及システムで、
しかしこれはシステムの自己言及とは違うのであって、
個の自己言及はシュレディンガの猫なのである。
にゃお。
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