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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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なんだか気がつけば、
ストパー意欲が失われていた。
意欲というより習慣、というより惰性なのだが、
その惰性すらはたらかなくなったらしい。

てなことはなくて、どうやら自分の髪が気に入ってきたようだ。
もう鬱陶しいを超えて長いのだけど、
うまくリンスを使うといい具合にしっとりとおさまってくれる。
シャンプーはほんの時々でよいのだ(とか言わない方がいいのかな…)。

部署の先輩に美容院の紹介割引券をその場の流れでお願いしてしまったけど、
いらないかもしれない、使わないかもしれない、色んな意味で(?)。

当面はシャンプーとリンスの使い方に習熟して、
髪方(髪の方々)が爆発せんように手なずけるとしみよう。
切るという選択肢がないのが不思議だね。
ま、必要だから。

パーマカルチャーって単語だけ聞いたことあったけど、
調べるとパーマでもカルチャーでもなかったという。
ここでは「縮毛文化」の意味でつかってます。
個人の趣味に文化もなんもないけど。

+*+*+*

『ひとりで渡ればあぶなくない』(森毅)が身に染み過ぎてちと困った。
僕は本を読む時「ふむふむ」と思えば線を引き、
「これは!」と思えば線を引いた上に○とか☆とか「…。」をつけるのだけど、
今日Veloce用に読み始めた本書はほぼ平均1ページごとに○をつけた。
つけたかった、というよりはつけざるをえなかった、というようなつけ方だった。

「みんなで渡ればこわくない」が、「ひとりで渡ればあぶなくない」。
こわいのがいやか、あぶないのがいやか。
僕は、あぶない方がいやだな。

「こわい」のはそのこわさが身に染みているからこわいのだけれど、
「あぶない」のはそのあぶなさに気付いていないからこそあぶない。
こわくても、あぶなさに気付いていたい。
きっとそれが「身体性の賦活」というやつだろう。

(そういや別のエッセイで読んだけど森先生は八幡に住んではったんですね。
 同時期ではなかったみたいやけど、ご近所さんやったとは。
 これからどんどん読んでくエッセイにも特別な親しみがもてそう)
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