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幸福も過ぎ去るが、苦しみもまた過ぎ去る。
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半眼の極意。

『半眼訥々』という高村薫の時評集があって、『レディ・ジョーカー』とか合田雄一郎シリーズとか「地に足の着いた硬派もの」作家そのままの内容でありながらタイトルが何しろよいなあと思っていて、ところで半眼というのは決して眠いわけではなく物事を冷静に見つめる時の自然形である。

髪が長い人の中には見るからに(人柄でなく髪が)鬱陶しそうな人がいて、「前髪が目に入るんだよね」とか言いながらなかなか切ろうとしなかったり(僕です)、上司に注意されたり総務に「社則の規律を逸している」と言われたりしながら「そうですよね、同感です」とかナメた態度をとったり(僕です)、果ては週末にサッパリ切ってきますと宣言しながらノーカット縮毛矯正で逆に伸ばして「あ〜さっぱりさっぱり☆」(@魔法陣グルグル)な人間がたまにいるが(全部僕ですね)、そういった輩の皆が無意味に体を張っているわけではないと前から思っていた。

話を結合すると「半眼状態」は冷静な思考を賦活するのだが、考える時だけでなく常日頃から半眼でいることで身の回りの物事の本質をズバッと見抜くことができるのだけど、「ちょっと鬱陶しいくらいの前髪」がその半眼状態を維持するブリンカー的役目を果たすのだと今日気付いた。
ちょっとした身体的不快というのは時間が経つと慣れるもので(靴下の中の足がかゆいとか、靴底のゴムが一部砕けて踵の踏み心地が怪しいとか)、それは身体的不快の原因要素が消失する場合もあれば原因要素はそのままに身体が不快を取り込んで新たな調和を見出す場合もあって、目に入りそうな前髪が体感として鬱陶しくなくなるのは後者の場合で、その具体的なところが半眼状態ということになる。
これは意外と効果的と思っていて、なぜなら脳の動きと身振りというのはいつも組み合わせて行っていると片方だけやろうとしても自然ともう片方がついてくるものだからだ。

きっと海月の前髪もだらんと垂れていると想像する。
もしかして海産物つながりでワカメみたいにくねくねしてたりして。
由良木先輩みたいな…それはちょっとやだなぁ。
そうそう、昔の話だけど大学のジャズ研と部室を共有していたDJサークルの本棚のマンガが自分のお気に入りのルーツで(その節はお世話になりました…そして勝手に読んですみませんでした)、幸村誠(『プラネテス』)と日本橋ヨヲコ(『プラスチック解体高校』)はそこで初めて知ってハマった漫画家なのだけど、その縁で院時代に読んだ『少女ファイト』を最近読み返すと無性にバレーボールがしたくなった。
会社のサークルでは2年くらい行ってない幽霊部員だけど、もうそろそろ練習行こうかしら。
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